柏洋通信

2017.02.22

柏洋通信Vol.39

  【ベトナムのホーチミン市を訪問しました。】(2/22)

◆質問に対して次々に手が上がります。コミュニケーション能力の向上を意図した実に活発な授業です。

◆5sは世界の共通言語!授業にしっかり取り入れられています。

◆ベトナムでは全く行われていないごみの分別も、日本では当り前のマナーです。近隣住民とトラブルを起こさないよう、今のうちにしっかり身に着けておきます。

◆彼らの元気と頑張りに期待します。

◆噂には聞いていましたが、バイクと車の走りは想像以上に凄かった。道路の横断は正に命がけ?

◆ホーチミン市はフランス植民地時代の由緒ある建物も残る美しい街です。

◆普段料理はしないそうですが、お父さん自ら我々のために腕を振るってくれました。

◆ヴァン君のご両親と記念撮影。向かって右からフック君、タイ君、ヴァン君、そしてご両親。

 2月13日から16日の日程で、ベトナムのホーチミン市を訪問しました。
この程当社はベトナムから技能実習生を受け入れることになり、そのための面接を行うことになったのです。
既にベトナムから多くの技能実習生が来日し、日本全国津々浦々の生産現場で活躍していることは、皆さんもよくご存じのことと思います。
当社の工場がある福島県も例外ではありません。

ご承知の通り我が国では、外国人が工場などで日本人と肩を並べて普通に働くことには様々な制約があり、 原則として「外国人技能実習制度」を利用しなければならないのが実情です。
制度の詳しい説明は省きますが、日本の慢性的な人手不足を補う手段として、各方面で活用されているのです。
移民問題で大きく揺れ動く欧米を見るまでもなく、日本にとっても近い将来、  さらに一歩踏み込んだ決断を迫られる時期が来ると思うのは、私だけではないでしょう。
この制度には現在農業、建設、食品加工など74の職種が指定されていますが、 最近になって当社のようなガラスびん製造業にも適用される職種が加わったことから、今回の面接に漕ぎつけたのでした。

さて、面接は現地で日本に向け技能実習生を送り出している教育機関で行いました。
ここはホーチミン市以外にもベトナム全土に数カ所の拠点を持ち、現在1,900名の生徒たちが通っています。
彼らは高校、短大、専門学校を卒業後、その多くは数年の実務経験の後、日本での就労を希望して入学してきます。
カリキュラムの中心はもちろん日本語教育ですが、まず驚かされたのは、ここでの教育は日本以上に日本的だということです。
教室では「あいさつ」「礼儀」「時間厳守」が、繰り返し徹底的に教え込まれます。
日本企業では当たり前の5Sも取り入れられていますし、日本での日常生活で困らないよう、 ごみの分別も行われています(ベトナムでは一切行われていません)。
その他日本文化にも触れられるよう、茶道や着付けの教室もあるそうです。
こうした経験を積むことで、彼らは我々が想像する以上に、日本人と日本の文化を理解して来日することになるのです。

ベトナム人の彼らは、なぜ日本を目指すのでしょうか。
働きやすさという面からすれば、制約の多い日本より、欧米、中国、韓国、中東諸国の方がはるかに良いはずです。
それでも、日本を志向する若者は多いのです。
その理由として彼らが異口同音に上げるのが、日本はアジアで最も成功した国であるということ。
その根底には、奥深い文化と最先端の技術の融合があると見ています。
そして、日本への憧れと畏敬の念を隠そうとはしません。
彼らの来日の目的は、単純にお金を稼いで家族に楽をさせたい、日本語と技術、日本的経営手法を習得し、 帰国後は日系企業でリーダーとして働きたい、日本で稼ぎ、かつ習得した技術やノウハウを生かして起業したいなど様々です。
しかし誰からも日本の良さを貪欲に吸収したいという、強い熱意が伝わってくることに変わりはありません。
今回は8名の若者と会いしましたが、いずれも甲乙つけ難く熟慮に熟慮を重ねた結果、最終的に3名に絞りました。
彼らはこれからさらに日本語に磨きをかけ、順調にいけば8月には当社に入ってくる予定です。

丸一日を費やした面接の翌日、幸運にも3名の内の一人、ゴー・ディン・ヴァン君の実家を訪問する機会を得ました。
彼らベトナム人の日常を知る上で、またとないチャンスです。
ヴァン君の実家はホーチミン市から南西へ約90㎞、カンボジアと国境を接するタンニン省にあり、ご両親は農業を営んでいます。
ベトナム名物の交通渋滞(?)をかき分けかき分け、車で2時間ほど走ってようやく到着。
幹線道路から脇に5分ほど入ったところに目指すお宅はありました。
煉瓦造りの壁にタイルを張った瀟洒な住宅です。
暑い国だけに広いテラスが設けられ、風通しを重視した間取りになっています。
思いがけずご両親から歓待を受けました。
時間は丁度お昼時、お父さん自ら腕を振るってのご馳走に、舌鼓を打ちつつ大変美味しくいただきました。
ベトナムでは若者が海外に出るのは極々普通のことだけに、ご両親もヴァン君が日本に行くことに特に不安はないそうです。
だからこそ、我々は将来のある彼らを単なる労働力と見るのではなく、日本とベトナムの国際交流に一役買うぐらいの気持ちが必要だと思います。
その結果、第二、第三のヴァン君たちが当社に来てくれるようになれば、お互いにウィンウィンの関係を築くことができたのだと言えるでしょう。
彼ら3人と二本松で再開できる日が、今からとても楽しみです。

代表取締役社長
七島 徹

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